2012年1月19日木曜日

人間ゲーテを語る<上>


聖教新聞 2003年(平成15年)3月14日(金)掲載
二〇〇三年三月十日 於・創価大学本部棟

創価大学創立者 池田大作先生
第一回 特別文化講座

 人間ゲーテを語る<上>

☆学問は青春の特権!
君よ世界を自分のものとせよ!!

よき「出会い」は人生の宝
自己満足のカラを壊せ 厳しき薫陶こそ幸福

父は教えた 中途半端になるな 最後までやり遂げよ
母は教えた 生きるために学べ 学ぶために生きよ

☆偉業は一人ではできない 人々の協力と刺激が必要
努力!「最高」を目指して!!

(以上、新聞の大見出しと中見出し)





今回は、記念として、少々お時間をいただき、懇談的にお話をさせていただきにまいりました。

卒業される皆さん、私が創立した創価大学に学んでくれて、本当にありがとう!

まず、私が青春時代から好きだったゲーテの言葉を贈りたい。

「誠実に君の時間を利用せよ!/何かを理解しようと思ったら、遠くを探すな」(『ゲーテの言葉』高橋健二訳編、彌生書房)

これは、私の座右の言葉でした。

さらにゲーテは言います。

「まことに、青春というものは、ありあまるほど多くの力を内蔵している」(「ヴィルヘルム・マイスターの修行時代」、『ゲーテ全集』7、前田敬作・今村孝訳、潮出版社)

生き生きと、青春を生きる人間ほど偉大な人間はいない。強いものはない!――これがゲーテの誇り高い生き方でした。

自分が決めたこの道で、これから一生涯、戦ってみせる。その原動力は、青春にある!――こう決めて、私も青年時代を生き抜きました。

現代の〝若きゲーテ〟である諸君、こんにちは!

皆さんの元気な姿を拝見でき、また久しぶりにお目にかかれて、本当にうれしい。

大学の諸先生方も、いつも大変にありがとうございます。

◎勝利と栄光を勝ち取れ

「卒業生の方、おられますか。

では、三年生! 二年生! 一年生! 学園生!(創立者の呼びかけに、会場から次々と元気よく返事が)

とくに卒業される皆さん、本当におめでとう。

いよいよ社会の第一線に出る皆さん、いつまでも健康で。健康第一です。病気になったら、皆に心配をかけてしまう。

社会の第一線に立っても、いかなる苦難をも乗り越えて、厳然と、勝利と栄光の人生を勝ち取っていただきたい。

人生は勝負です。勝たなければ自分が損です。不幸です。

その長い人生の土台を築いてくれたのが、わが創価大学です。

どうか一生涯、創価大学を愛してほしい。大事にしてほしい。誇りに思っていただきたい。

そして、お父さま、お母さまに、くれぐれもよろしくお伝えください。これは、私からの切なるお願いです。

重ねて申し上げたい。

卒業する皆さんは、これから、厳しい社会に立ち向かう。社会は矛盾も多い。いじわるな人間、陰険な人間もいるでしょう。

しかし戦いであり、勝負である以上、断じて負けてはならない。必ず勝利者になってもらいたい。

「お父さん、こんなに給料が増えたよ!」(笑い)と胸を張れるようになってほしい。

そうでないと、大切に諸君を育て、最高学府まで行かせてくれたご両親に申しわけない。ご両親に喜んでもらえる、雄々(おお)しい自分自身になっていただきたい。

私が創立した創価大学を卒業する皆さんです。私は一生涯、見守っていきます。これは創立者としての責任です。どうか健康で! ご活躍を祈ります。

◎皆がほっとして満足するように

本日の講義は、当初、文学論的次元から、ゲーテを論じようとも思っていました。

しかし、本学には、ゲーテ文学の専門家である田中亮平教授がおられる。田中先生、いらっしゃいますか?(「はい」と立ち上がる)

田中先生は、創価学園の出身で、東京大学大学院に学んだ秀才であり、日本ゲーテ協会にも所属しておられます。

私も、田中先生と、ゲーテを論じ合ったことが懐かしい(「不滅の巨峰 ゲーテの『詩と真実』」、『世界の文学を語る』潮出版社)。

学生の皆さんも、ゲーテを勉強して、よく知っている人も多いと思います。最近、創大ではゲーテが流行(はや)っていて、近くの本屋さんにはゲーテの本がなくなったらしい(笑い)。

でも、初めだけ読んで「ゲーテは難しい」と、あとのほうは読んでいないかもしれない(爆笑)。

ともあれ、本格的な議論をしたい人は、勉強して田中先生のところへ行ってほしい(爆笑)。

この会場には、学園生の代表も見えておりますし、きょうは難しい論議にならないよう、平易(へいい)な言葉で、「人間ゲーテ」という次元から光を当てて、話を進めさせていただきたいと思います。難解な、大学での講演という形でなく、一緒にヤキイモを食べながら、せんべいを食べながら語り合うような、ゆったりとした気持ちで聞いていただきたい。

皆がほっとして、「ああ楽しかった」「ああ疲れがとれた」と満足していただけるような講義になればと願っています。

では、始めましょう!

◎頑固一徹の父

ゲーテの家族について見てみたい。

一七四九年八月二八日、ゲーテは、フランクフルトで生まれた。三九歳の資産家の父と、十八歳の母の長男でした。

教養豊かな父のもとで、ゲーテは、幼少のころから、万般(ばんぱん)の学問を厳しく教えられた。

父がつくったとされる教科課程は、ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語、フランス語、英語、イタリア語などの語学。さらに歴史、地理、宗教、自然科学、数学、音楽、舞踏(ぶとう)、剣術、乗馬など、じつに多岐(たき)にわたっています。

ゲーテの父は、「中途半端」を非常に嫌う性格でした。

何事であれ、ひとたび始めたならば、断固として最後までやり遂げる。押し通す。そうしなければ気がすまないという、一徹(いってつ)な父でした。

例えば、長い冬のある夜のこと。古い歴史の本を家族で読み合いました。それは、まったく面白くない退屈な本でした。

しかし、いったん本を読み始めたのだから、最後まで朗読し続ける。こういう父だったのです(「詩と真実」、山崎章甫訳、同全集9、参照)。

性格は、そうそう変わるものではない。

だから、「ああ、お父さんはこういう性格なんだ」と受けいれる心の余裕と聡明さが大事だ。その努力が人間学であり、人間教育です。

さて、そうやって、〝いやいやながら〟取り組んだ朗読から、多くのものがゲーテの記憶に深く深く残った。

それが、後々、大いに役立つ(同、参照)。それらすべてが、彼を大詩人へと、つくり上げていったのです。

すべてに無駄はない。また、無駄にしない。ここに、歴史を残す「偉大な人間」になるか、「普通の人間」として終わるかの境目(さかいめ)があるのです。教育の重要性の一端(いったん)が、ここに隠されています。

一方、ゲーテの母はどういう人だったか。

彼女は、優しく明るい女性だったといわれています。母は太陽です。お母さんが明るいというのは、家族にとって一番の幸福です。

ゲーテの母は、「人や物を見るすこやかな眼(め)」をもち、「つねに朗らかで快活な心」が弾んでいる人でした(アルベルト・ビルショフスキ『ゲーテ――その生涯と作品』高橋義孝・佐藤正樹訳、岩波書店)。だれもが、彼女に会うと楽しい気持ちになったといいます。

また彼女は、強く勇敢な女性でした。戦時中のこと。皆がフランクフルトを逃げ出すなか、彼女だけは、にこやかに語りました。

「臆病者は全部出て行ってしまえばいい、と私は思っていました。そうすればもう、臆病風(かぜ)は誰にも感染しませんから」(リヒャルト・フリーデンタル『ゲーテ―その生涯と時代―』上、平野雅史・小松原千里・森良文・三木正之訳、講談社)。

◎この世界は喜びにあふれている

この強く明るい母は、息子ゲーテに教えました。

「(この世界には)あまたの悦びがあるのです。その探し方に通じていさえすればいいので、そうすればきっと悦びが見つかります」(ハイネマン『ゲーテ伝』大野俊一訳、岩波文庫)。

この世界は、悲しい世界ではない。苦しい世界でもない。喜びにあふれた素晴らしい世界なのよ――この聡明な母のもとで、ゲーテは育っていきます。
母は強い。正義に生きるから強いのです。

たとえお金がなくても心の財産がある――そうやって豊かな知恵で、豊かな心で、子どもを育てていけばいいのです。

母はゲーテに、何よりも文学や物語の喜びを伝えていきました。幼いゲーテは、母が語ってくれる物語を聞くことが何より楽しかった。

◎「母から創作の天分を継(つ)いだ」

ゲーテ自身、「母からは想像力の生みだす、とらえうるすべてを明るく力づよく表現する才能、周知の物語に新鮮味をあたえ、別の物語を創作して語り、語りながら創作してゆく天分をうけついだ」(「詩と真実」、河原忠彦訳、同全集9)と誇りをもって書いています。

子どもというのは、そういうものです。女子学生の皆さんも、将来、お母さんになったら、その時は頼むね。(「はい!」)

現代でも、母親は子どもに向かって、「テレビを切りなさい!」「本、読んでるの!」「あしたの試験は大丈夫!?」と、口うるさいのがふつうだ(笑い)。
もう少しうまく、ゲーテのお母さんみたいに聡明になれる人が、本当の教育がある人です。

教育は生活に表れる。何げない日常の暮らしにも、優雅さがあり、賢明さが光っていく。

いくら学問をしていても、家に帰ったら野蛮人(爆笑)。ここにも日本人の教育観の貧しさがあるといえましょう。

ゲーテの母の人生のモットーは何か。それは、「生きるために学べ、学ぶために生きよ」(ブランデス『ゲエテ研究』栗原佑訳、ナウカ社)でありました。
彼女は、後(のち)に「すべての母の中で最も優れた母」(前掲『ゲーテ―その生涯と時代―』上)と讃えられます。

しかし、「私にふさわしくない称讃を受けいれるつもりはありません」と全然、相手にしない。見栄や気取(きど)りもなく、聡明に生き抜いた、平凡にして偉大な母でした。

こうして、両親のよいところを伸びやかに受け継ぎながら、「人間ゲーテ」は、形成されていったのです。

田中先生、ここまでは、よろしいでしょうか?(田中教授が「はい」と)

いいそうです。ありがとう。

ところで、先ほども触れましたが、ゲーテの作品に挑戦している皆さんも多いようです。

一般に、外国文学は、物語の本筋に入るまでが長い。翻訳がわかりづらい場合もある。たいてい、嫌になってしまう。そこを我慢して通り越すと、ぐっとわかるようになり、面白くなるものです。

ということで、講義を続けましょう。

◎運命を変える道

ゲーテの父母は、その後、どうであったか。

父は資産家だったので、定職に就かず、ほとんど家ですごします。

両親とも、当時としては珍しく長寿でした。父は七二歳、母は七七歳の年まで生き、天寿(てんじゅ)をまっとうしました。

ゲーテは、六人兄弟の長男。しかし、下の四人の弟妹は、幼くして亡くなっている。すぐ下の妹も、二六歳の若さで亡くなっています。

またゲーテは、のちに結婚して、五人の子どもが生まれます。

しかし、長男を除いて、下の四人は早く亡くなる。

唯一(ゆいいつ)の子となった長男は、ゲーテが40歳の時の子です。ゲーテは、大変にかわいがりました。

この長男は、やがて、父ゲーテの助手などを務めます。

しかし、「ゲーテの息子」という重荷に耐えかね、酒におぼれ、ローマで客死(かくし)しました。享年四〇歳でした。長男の死は、ゲーテが亡くなる一年半前のこと。ゲーテにとって大きな衝撃でした。

さらに、ゲーテには三人の孫がいました。長男の子どもで、二人の息子と娘一人です。

息子は二人とも六十五歳まで生きたが、どちらも生涯、独身であった。娘は、十七歳の時、病気で亡くなった。このため、ゲーテの血筋は、孫の代で途絶えることになったのです。

ともあれ、生死という宿命の嵐は、文豪を晩年まで襲ったのです。学問だけでは、教育だけでは、運命を、宿命を転換することはできません。ここに、宗教を志向せざるをえない必然性があります。皆さんは長生きしてください。お父さんやお母さんも、長生きしていただきなさい。健康と長寿のために、あらゆる知恵を使い、あらゆる工夫をしてください。

◎大学は真理探求の戦いの場

さて、ゲーテの学生時代は、どうであったか。

ゲーテは、父の勧めによって、名門のライプチヒ大学に入学。十六歳でした。父は、息子の社会的成功を願い、法律を学ぶように強く要望します。しかしゲーテは、法律には、あまり興味がわかない。文学や歴史を学びたい。平板(へいばん)で退屈な大学の講義にも、熱意をそがれました。ゲーテが講義を聴(き)くと、すでに知っていることばかりだったのです。

教員は、うかうかしていられません。厳しい、うるさい、納得いくまで何でも突いてくる――こういう学生だと、当然、教員も真剣になる。

ある教員はゲーテの詩を非難。その教員の文学作品に対し、今度はゲーテが詩をもって痛烈(つうれつ)に反撃。いわば、ゲーテと教員の戦いになった。実際、ゲーテのほうが進んでいたのです。教員が、学生のゲーテにかなわない。これでは教えるほうも嫌になったかもしれません。

ゲーテは言います。

「長老教授のうちのある人たちは、すでに長年のあいだ進歩することなく、全体としていえば、固定化した見解のみを伝え、個々のものに関していえば、すでに時代が無用なもの、誤ったものと断定した多くのことを教える」(前掲「詩と真実」山崎章甫訳)。

つまり、進取の気概もなく、時代にあわないこと、まちがったことを教える場合があったというのです。

創価大学はちがうと私は信じます。

教員の先生方、いつもありがとうございます。心から感謝します。

ゲーテにとって、大学は、荒れ果てた、さえない学識(がくしき)の場にすぎませんでした。

こういう教育ではいけない。偉大な人物は出ない。ゲーテは困惑し、強く反発します。

しかし、だからといって、彼は、大学生活を無駄にしたり、青春を浪費したりはしなかった。賢明に、生き生きと、前へ進んでいきます。

◎世界に波動を

ゲーテが最も憧れてやまなかったもの――それは「詩人」でした。目分は詩人になろう――それは心の中に秘めた思いでした。

ゲーテは、すでに七歳のときから、詩を書いていました。詩が好きだったのです。また、演劇にも興味を抱き、一〇歳になるころには自分で劇を上演したり、戯曲(ぎきょく)を書いたりしています。

文学の翼を、自ら鍛え広げよう――学生時代、ゲーテは、ひそかに決心する。文で人の心を動かそう。文で世界に波動を広げよう。新しい時代をつくろう。

自分がやってみよう――そう決めるところから、一人の偉大な人間革命が始まる。

そのためゲーテは、学生時代、文芸や科学、言語、歴史など、あらゆる領域の学問を貪欲(どんよく)に吸収していく。民衆の幸福のため、永遠の平和のために、自分は世界を動かすんだ。人の心を動かす人間になるんだ――こう決めた人間は強い。諸君は、そうあってもらいたい。

ゲーテは、さまざまな文学作品を、読んで読んで読み抜いていく。興味本位の、くだらない本など読まない。シェークスピアやルソーなど、外国の文学も含め、あらゆる名作を深く読み込んでいったことは有名です。

また自らも、多くの詩や戯曲を生み出していった。すなわち文を書いて書いて書き抜いた。学問を身につける上でも、「書く」ことは、とても大事です。

こうした学生時代の主体的な学びの努力が、目覚ましいほど豊かな人間形成の糧(かて)となったことは当然です。

書かなくてはいけない。読まなくてはいけない。それが、青春時代の特権です。

大人になってからも、同じです。勉強しない人間、読まない人間、学ばない人間は、どうしても頭が硬直化してしまう。それでは子どもからも好かれないし、人からも好かれないでしょう。そういう愚かな人生であってはならない。

◎真実を語れ それが詩人

ゲーテにとって、「詩人」とは何であったか。これは、彼自身の大きなテーマでした。

彼は言います。「わずかばかりの主観的な感情を吐露(とろ)しているかぎりは、まだ詩人などといえたものではない」(エッカーマン『ゲーテとの対話』上、山下肇訳、岩波文庫)

「世界を自分のものにして表現できるようになれば、もうその人は文句なしに詩人だ」(同)。

精神の王者になる。それが本当の詩人です。すべての次元で、それが根本です。

さらにゲーテは言う。

「詩人は真実を語るものだが、それが世間の人の気に入らないこともあるさ」(同)。

たとえ世間から怒号(どごう)を浴びようとも、真実を語るペンの勇者が、本当の詩人です。

そして「詩人は歴史をのり越えて、できるかぎり、もっと高いもの、もっとよいものを、与えてくれなければ嘘だ」(同)と。よりよい、より高い精神性へと人々を導く崇高な作業こそ、詩の魂なのです。ゲーテにとって、詩とは、また文学とは、自身の使命の精神闘争の出発であり、結論でありました。

ゲーテは、一九歳になる年に、生死の境(さかい)をさまよう大病を患(わずら)います。ライプチヒ大学を、三年で中断することになってしまう。病気を治すために静養せざるを得ない。彼は故郷に戻りました。それは一年半に及びました。

しかしゲーテは、その試練の日々をも、自分白身を見つめ直す機会とした。自分自身を、より深く洞察する時間にしていったのです。

その後、ゲーテは、再び故郷を離れ、さらに一年余、ストラスブール大学で学びます。その地で、彼に大きな影響を与えた出会いがありました。ここからが彼の人生の本番ともいえましょう。

大事なのは「出会い」です。一人では偉大になれない。偉業は達成できない。必ず何らかの出会いがある。ゲーテにとって、それは、思想家ヘルダーとの出会いでした。

偉大な人間と出会う。同志と出会う。生涯の師と出会う――出会えない人間は不幸です。

つまらない人間との出会い、悪に堕落していくような出会いではなく、高い理想に向かって、人間が人間として勝利しゆく真実の出会いこそ、最高の人生の道なのです。

◎よき先輩・よき友情・よき先生こそ

思想家ヘルダーについて知っている人はいますか?(「はい!」と多くの学生が返事を)

すごい。これなら話さなくてもいいですね。

ドイツの思想家であり文学者であるヘルダー。彼は、十八世紀後半、「人間性の解放」を訴える革命的なドイツの文芸運動「疾風怒濤(しっぷうどとう=シュトルム・ウント・ドラング)」の若き先駆者です。

代表作に『人類の歴史哲学のための諸理念』などがあります。

二一歳の無名の学生であったゲーテは、自ら求めて、五歳年上のヘルダーを師匠として学びます。いい先輩が大事です。いい友達も大事。いい後輩も大事。人生の宝は、人と人とのつながりです。

ヘルダーのおかけで、デーテは、広い世界の文学、世界の諸民族の詩、民謡などへの目を開いていきます。その鍛錬(たんれん)の時期を「素晴らしい、予感にみた、仕合(しあわ)せな日々」(前掲「詩と真実」山崎章甫訳)とゲーテは呼んでいます。

よき先輩、よき友情、よき先生、これで人生は決まるのです。ヘルダーは大変厳しかった。しかしゲーテは、自分が傲慢になる可能性を正してくれた、と後々(のちのち)まで感謝しています。

◎苦難のときほど確かな教育を

ヘルダーは呼びかけました。

「時代の澱(おり)のなかにあっても絶望してはならない。何が襲(おそ)い、何が邪魔しようとも、――教育をつづけるのだ。苦難が大きいだけ、いっそうよい、たしかな、しっかりした教育をつづけるのだ」(『世界の名著』続7、小栗浩訳、中央公論社)。

これが彼の叫びです。

大事なのは教育です。人間しか教育は受けられないのです。大学まで進み、教育を受けられる――どれほど皆さんのお父さん、お母さんは偉いか。深く感謝しなければならない。

ヘルダーは、すでに文壇(ぶんだん)の若きリーダーとして活躍していました。ゲーテは、ヘルダーがその地に滞在していることを知り、ぜひ会いたいと願っていた。ある時、偶然、ヘルダーの姿を見かけるや、ゲーテは青年らしく、自分から声をかけます。毎日のように、足繁(あししげ)く学びに行きます。ヘルダーの「該博(がいはく)な知識」「深い識見(しきけん)」(前掲「詩と真実」河原忠彦訳)に、ゲーテは心を打たれます。

このヘルダーとの対話によって、ゲーテは、文学とは何かを学んでいきます。

◎虚栄を捨てよ

ヘルダーの厳しさは並大抵ではなかった。ゲーテに対しても、それはそれは厳しくあたりました。叱責(しっせき)や非難、罵倒(ばとう)、嘲笑。そういうふうにして試練を与えた。また、ゲーテの学問に見栄や虚飾などを感じると、ヘルダーは、辛辣(しんらつ)な言葉を投げつけました。虚栄をかなぐり捨ててこそ、一流の人になれるのです。ゲーテは、その厳しさ、痛烈さにも、喜んでついていった。なんとしてもついていこうとするゲーテも偉い。偉大な人間が、偉大な人間をつくる。それが本当の師弟であり、友情です。

しかし今、ヘルダーのように厳しくしたら、みんなどこかへ逃げ出すでしょう(笑い)。また逆に、つく人をまちがえたら惨(みじ)めです。皆さんも、よくよく心してください。

ゲーテは、充実した青春の日々を、こう振り返っています。

「ただの一日として、私にきわめて有益な教訓をうけない日はなかった」(同)。

それまでのゲーテは、作品を書けば、いつも周りから称賛されました。しかし、ぬるま湯のような世界からは、本当の実力は育ちません。ゲーテは、わが身を振り返って、「こんな義理のお世辞(せじ)からは、けっきょく空疎(くうそ)な、互いの自己満足にしかすぎない表現が生ずるだけである」(同)と言っています。
生ぬるい人生では、生ぬるい作品しかできない。

慈愛あふれる厳しさを知らなければ、本当の成長はない。人間革命できない。偉大な作品も生まれません。

ゲーテには、求道の心が光っていました。

「ときどきより高度の技量を目ざして鍛えなければ、そんな空語(くうご)を弄(ろう)しているうちに個性はわけなく失われてしまうものである」(同)。
二度とない青春時代だ。本当に訓練してほしい――その心が自分を大きくする。強くする。

ゲーテは自ら望んで、厳しい先輩につきました。人生、一人では勝てない。成長できない。だから学校がある。友人がいる。人と人の間にいるのが「人間」です。ゲーテにとって、ヘルダーの峻厳な薫陶を受けること、それ自体が喜びであり、感謝でありました。

ゲーテ自身、こう語っています。

「自己満足、うぬぼれ、虚栄、自負、高慢(こうまん)といったような、私の心中に巣食(すく)い、あるいは働いていたいっさいのものが、きわめて厳しい訓練にさらされることになったのは、なんとしても幸福といわざるをえなかった」(同)。

訓練してくれる人がいるということが、成長を目指す人間にとって、一番幸せな場合がある。かといって、威張った傲慢な人間に見くだされては不幸です。見極めるのは皆さんです。自分が聡明さをもつことです。

ゲーテは語っています。

「人間が一人でいるというのは、よくないことだ」「ことに一人で仕事をするのはよくない。むしろ何事かをなしとげようと思ったら、他人の協力と刺戟(しげき)が必要だ」(前掲『ゲーテとの対話』上)。

一人でコツコツやることは大事です。しかし、それだけでは、大業(たいぎょう)は成し遂げられない。

◎今、人生の骨格を

ゲーテは、二〇歳前後の学生時代に、詩人、作家としての骨格を築いていった。

二〇歳前後は一番大事です。多くのことが、ここで決まる。私の体験からも、そう言えます。

「自分自身の骨格を築く」ことが、学生時代、青年時代の一つの目的であることを忘れてはなりません。

後に、七十五歳のゲーテは、進路の相談に訪れた青年に対して、「重要なことは」「けっして使い尽すことのない資本をつくることだ」(同)と諭(さと)し、その青年にふさわしい道へと導いていったことも有名な話です。

このことを、よく思索してもらいたいのです。

青年は、自分自身の目的を真剣に見つめよ!

そのための揺るぎない土台を完璧につくれ!

これもまた、ゲーテの人間学の一つでしょう。

ゲーテの言葉に、「いやしくもなんらかの道にたずさわる人は、最高のものをめざして努力すべきである」(『世界の名著』38、小栗浩訳、中央公論社)とある通りです。

(<下>に続く)

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