2014年8月20日水曜日

ダレています

最近、写真を撮るのが嫌になりかけています。

思えば、一眼レフのカメラを始めた2年前(2012年)のこと。努力して上達するよりも、自分が楽しんで写し、他人にも喜びを与えるような写真を作ることを、一番の目的にしていたはずでした。

それが、いつしか苦痛になって来たのは、何故でしょう?

当初は、楽して傑作が撮れるカメラを購入して、それで写せば良いと考えていました。余りにも子供っぽい、素人の考えです。

身近に相談する人も居ないので、主にネットのブログと写真専門誌の記事などを参考にして、購入するカメラを決めました。しかし、それらカメラの専門家や経験者の意見は、多種多様で、すべて言う通りに買えば、いくらお金があっても足りない、間に合わない。

ある人曰く、戦前のライカ(つまり銀塩カメラ)こそ最高峰だ。あるいは、コンタックスとカールツァイスのレンズの組み合わせだ。云々(うんぬん)。

ある人の「昔のフィルムカメラが良いと」いうのを真に受けて、試しに、親父が昔使っていた、ミノルタα807i やサムライ(SAMURAI) X3.0にフィルムを詰めて、色々撮ってみたが、どれも眠たい写真ばかり。私の腕の悪さを割り引いても、曇ったようなレンズで撮った写真に満足することなど到底できませんでした。

一万円以下の安いコンデジでも、上のカメラよりも増しな、明るい写真が撮れます。それで充分です。

(雑誌「暮らしの手帖」の社長)松浦弥太郎の「男の一流品カタログ」という特集が「BRUTUS」の2014年8月号にあり、図書館で読みました。その一流の80品目中にカメラが3台あります。

1.ハッセルブラッドEDC
  アポロ11号で使用され、月面の写真を撮った記念碑的なカメラ。

2.アダムス・マイネックス・デラックス・トロピカル 
  9×12サイズの一眼レフ。カメラのロールス・ロイスと言われている

3.ライカCL
  ニューヨークの写真といえばスティーグリッツが撮ったフラットアイアンビル。松村氏は同じ場所からこのビルの写真を撮るのが夢だった、と書いている。
もちろん、この特集の最初の扉に、自らが、このカメラで写した、かのビルの写真が出ている。子供っぽい自慢に見えますが、いかがでしょうか?

これ位で、この特集の話は終わりにしますが、松村氏の好みは、大半が舶来品で,西洋かぶれか? と私は思いました。

カメラの愛好家の中には、松村氏のような人が大勢います。これこそ一流だ、あるいは最高のカメラだ、レンズだと。


有名カメラマンと言われる人々の傑作と言われる作品や写真集を見ても、私の心に響く感動的な写真は、ほとんど無い。白黒でなければならないと言う人もいるが、何故だか分からない。普通の人は色盲を除いて、誰もがカラーで眼前の世界を見ている。カラー写真が劣り、モノクロ写真はそんなに偉いのだろうか?

粒子の粗い、不気味な野良犬の写真が傑作だと言われているが、それも私は良いと思ったことは無い。余計なことだが、塗りがはげた仏像をありがたがる人の心情も理解できない。

私が唯一面白いと思ったのが、梅 加代の代表作である写真集「うめめ」だ。これこそ人を笑いに誘う、楽な気持ちで見られる傑作! この人の才能を真似することなど、今の私には到底できないが、見るたびに「いいなぁ」と安心できる。

「今の私には」と何の気なしに書いたが、もちろん、将来に渡っても、死ぬまで掛けても真似できない。

これに関しては、少女マンガの傑作、美内すずえ「ガラスの仮面」で主人公の北島マヤが少女時代に、ある舞台で同じ台詞(セリフ)を口にした。「今の私には(この演技は)まだ無理だけれど」

それを聞いた師匠である月影先生は、「今の私には出来ないかも知れないが、将来には出来るだろう」という意味だと、その舞台を代表する大女優に告げる。それだけの才能がマヤにはあると認めているからだ。


今、次の本を読んでいる。あまり真に受けないように斜め読み。

面倒くさがりやのあなたがうまくいく55の法則
著者は 本田直之。出版社は 大和書房。2009/1/25 発行

昔、筒井康隆がエッセイの中でこんな風に書いていた。
「長編小説を執筆していると、途中でダレ場が出てくる」

山場では無く、「ダレ場」。マラソンでも最初から飛ばしていると途中で息切れして、最後までスタミナ(元気、持久力)が続かない。

だから、小説家もわざとダレ場を作り、最後まで執筆が続くようにするみたい。

ましてやプロのカメラマンでも無い私が、失敗もなく、常に向上を続けて、前よりも傑作を量産し続けることが可能だと思う方が間違っている。

今は、ダレ場だと思っている。失敗して反省して、を繰り返すのが普通の人。私も普通あるいは、普通以下の人なので、あまり買いかぶらないようにお願いします。

才能のある人ほど、周りも皆、自分と同じようにやれると、思い込んでいるのではないか? 現状はどうなっているのでしょうか?

事実は、1000人の凡人中に才人は一人でしょう。あるいは万人に一人の天才の割合か?

凡人がたまに愚痴ったって良いでしょうねっ。


以下は余談です。(今までが全部余談だったりして)

現在、天才画家と呼ばれている人たちも、極端に言えば生前は一枚も絵が売れないとか、誰にも認められない例がある。ゴッホ、モジリアーニ、アンリ・ルソーなど。

逆に死んで50年も経つと、ほとんどの人に、その存在を忘れられる人もいる。
私の好きな開高 健、松本清張、司馬遼太郎などは、30代以下に知っている人はいるのだろうか?

先日、映画館(シネマ アイリス)で見た「グランド・ブタペスト・ホテル」。
ミステリだが、笑った笑った。エンドロールに(オーストリアの文豪)シュテファン・ツヴァイクに触発された等と英語で書かれていた。(劇中、クリムトの絵が2枚飾られていて、そのうちの一枚が破かれた)

で、午前中に見て、その足で蔦屋書店に行き、この作家を30代のコンシェルジュ(案内人)数人に知っているかと聞いたら、誰も知らなかった。

学生時代に、代表作『ジョゼフ・フーシェ』(岩波文庫にもある)を潮文庫で読んだだけだが、名前だけは、しっかり覚えていた。検索してもらうと次の訳書が出ていた。
(1年くらい前だったか、ブックオフで潮文庫20冊を105円コーナーでゲットした。その中の一冊がこれ)

マリー・アントワネット』(上下)角川文庫 中野京子訳 2007年刊
(池田理代子『ベルサイユのばら』は本作を元にしている)

別の訳者で河出文庫でも上下で出ている。

要するに、ツヴァイクの名を知る人も50代以下には居ないような気がする。
1942年に自殺(満60歳)。

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