昼食休憩を取ってまた岬方向に歩き出す。
自然に出来た岩の突堤(とってい)を過ぎてまもなく、明らかに何かの
記念碑と思われる石の直方体2本が立っているのを発見。
(撮った写真は41枚)
13:33 画面中央の下ですが、小さくて判りづらいので、トリミングします。
よく見ると、2本の左側にもう1本立っています。
13:34
正面から。右の1本に「寒川部落/鹿島神社跡」と彫(ほ)ってある。
左の文字が多い方を次にトリミング。
「明治三十八年(一九〇五年)/富山県下新川郡宮崎村宮崎より/
水島竹松他数十名新天地を求め寒川の地を移住地とした地/
定設者 水島政治」読みにくいですが、こんな風に見えました。
最初に見つけた2本の記念碑の左側に1本だけ立っている方に近づいた。
判別が難しいのですが「我が里永遠に/不朽(ふきゅう)の里地なり」かな。
13:35 これが裏側を見たところ。山を背に海に向かって立っている。
右は「二〇〇四年/我が里 永遠に/不朽の里地なり」。
左は「2000年/水島竹松 いと/俊雄 ヨリ/政治」。
13:35 石碑の右手の岬に向かう途中に石垣が見えた。
13:36
13:37
写真の右端に先ほどの石碑が3本。
この石垣の海側は岩と岩の間が離れていて、歩くのに非常に危険なので、
そちらは通らずに、石垣の上を越えて向こう側に行くことにした。
石垣の高さは少なくとも10mはあると思う。
13:38
石垣の上は笹藪(ささやぶ)になっている。
後ろに鉄筋のようなものがある。
石垣を越えて降りるところも、非常に狭くなっていて、しかも急で
落ちたら間違いなく骨折するような危険な箇所だった。ロープなど無し。
13:39 石垣を越え降りた地点から海を眺(なが)める。
ここが石垣の上だ。ここに家が建っていたのだろうか。
この辺りが寒川部落の跡だということなら、当初の目的は達せられたと思う。
しかし、その先はどうなっているか、確かめてみたい。
おそらく立待岬へと繋がっているのだろう。
但し、そこまで本当に行けるのだろうか?
13:41
13:42 漂流物が散乱している。
13:43
13:44
13:45
地下水が湧(わ)き出ている。
自然の造形、不思議な形にえぐれた岩。この辺りは木も生えない岩盤か。
ここから山の上に登るのは私には不可能だ。傾斜は60度位?
大変な思いをして、石垣を越えた。岬の岩の先に何が待ち構えているのか?
乞うご期待。
「探検 寒川集落跡 その11」に続く
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はじめまして、函館西部地区在住の30代です。
返信削除家の近くでこんな冒険譚が繰り広げられているなんて、
びっくりです。超おもしろいです!
編集大変かとは思いますが、その11を楽しみにしております!
初めまして!以前寒川チャレンジしようとして、天気に恵まれず行けずじまいで何年も経ってました。今時期行きやすいかなと検索したところ、こちらのブログを見つけました( *・ω・)ノ
返信削除とても細かく写真載せていて見応えあります!一眼レフのGPSも気になります!
道中怪我をされて大変でしたね(・ω・`)
その後再訪はされてないのでしょうか?
続きを楽しみに待ってます( *・ω・)ノ
楽しく読ませて頂きました。
返信削除寒川集落の存在は知っていたものの、あの壊れた橋の向こう側がどうなっているのか
まったく知りませんでした。
函館の歴史を知る上でも、貴重な内容だと思います。
次回の更新を楽しみにしています。
ワクワクしながら拝見させていただきました。
返信削除次章を楽しみにしています!
おはようございます。今朝のNHKラジオで函館から女性のレポートで初めて寒川集落の事をしりました。函館には毎年おじゃまして、山にも何回も登りましたが、裏の海岸線に富山から入植された方がいらっしゃり、洞爺丸台風で壊滅するまで住んでいた事には驚愕しました。これぞ!探検レポート!拝読させて頂きました(^^)
返信削除寒川集落、ボード上から遠目に見たことはあります。
返信削除先人が大変な苦労をしながら生活していたことや
学校(分校)もあったと聞きます。
心の奥でずっと気になっていたところ
こちらに辿り着き、
とても興味深く読ませていただきました。
続きがとっても気になります。
ぜひ続編をお願いしたいです!